むかしむかし、
中東という広い広い場所に、イランという大きな国と、
イスラエルという小さいけれど強い国がありました。
この二つの国は、最初からずっとけんかしていたわけではありません。
けれど、長い年月の間に、考え方の違い、守りたいものの違い、そして「相手がこわい」という気持ちが少しずつ大きくなりました。
イラン革命をきっかけに関係が悪化し、パレスチナ問題やイランの支援する武装組織、核開発への警戒が重なっていきます、 、 、
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むかしは、まだ今ほどにらみ合っていなかったのです
むかしのイランには、王さまがいました。
そのころのイランは、アメリカやイスラエルと、今よりずっと近い関係にありました。
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ところが1979年、イランで大きな革命が起こります。
新しい指導者たちは、「これまでの西側寄りのやり方を変えるべきだ」と考え、
アメリカやイスラエルへの見方も大きく変わりました。
簡単に解説すると、
前の村長さんは隣村と仲よしだったけれど、
新しい村長さんは「その付き合いはよくない」と考えた。
ここから、イランとイスラエルのあいだに、少しずつ深いみぞができていきます。
そこへ「大切な土地」をめぐる争いが重なったのです
そのころ中東には、パレスチナ🇵🇸をめぐる長い争いがありました。
➡︎地中海沿岸の同じ土地をめぐり、ユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)が長年対立する
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イスラエルは「自分たちの国を守らなければならない」と考え、
イランは「パレスチナ側を支えるべきだ」と考えるようになります。
こうして、二つの国は同じ景色を見ても、全く違う気持ちで見るようになりました。
簡単に解説すると、
一つの広場をめぐって、前から言い合いしてた人たちがいて、
そこへ別の大きな村が「こちらの味方をする」と入ってきた。
すると、元々の戦いは、もっと大きく、もっと難しいものになってしまいました。
イラン革命後、イランが反イスラエルとパレスチナ支援を強めていったことも、この流れを後押ししました。
さらに、イランは「仲間の戦士たち」を助け、イスラエルはそれをとても怖がったのです
イランとイスラエルが直接向き合うだけなら、まだ話は単純だったかもしれません。
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けれど現実はそうではありません。
イランは、ハマスやヒズボラのように、イスラエルと敵対する組織と深いつながりを持ってきました。
イスラエルは、こうした組織からの攻撃や圧力を、自分たちへの大きな脅威と見ています。
簡単に解説すると、
大きな国どうしが向かい合っているだけでなく、
そのまわりに「味方の戦士たち」がいて、あちこちで火の手があがる。
だからイスラエルは、「本当に怖いのは、目の前の敵だけではない」と感じ、
イランは、「自分たちは正しい側を助けている」と考える。
こうして、お互いの気持ちはますます遠くなっていきました。
そして今、「大きな力」をめぐる怖さが、止まらない戦いにしているのです
今、イスラエルが特に強く警戒しているのが、イランの核開発です。
国際原子力機関(IAEA)は、イランの施設で60%まで濃縮されたウランに関する強い懸念を示しています。
イランの核施設・フォルド(Fordow)が60%濃縮の主要施設だと説明しています。
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核兵器そのものを持っていると断定されていませんが、
イスラエルは、「このまま進めば将来もっと危険になるかもしれない」と強く警戒しています。
簡単に解説すると、
相手の城に、とても強い力を生み出すかもしれない大きなカマドが作られていて、
となりの城がそれを見ておびえている。
「まだ本当に完成していないかもしれない」
「でも、もし完成したら取り返しがつかない」
そんな不安が、二つの国の対立をさらに激しくしています。
だから今のイランとイスラエルは、ただの口げんかではなく、
長い歴史と深い不信感を背負った、とても危ないにらみ合いになっているのです。
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